僕は幼かった頃、空想の世界に入り込むことが多かった。思春期を迎えた頃から、現実逃避をするために、妄想の世界に逃げ場を求めていた。そして近頃、また妄想に耽ることが多くなってきた。
この間も通勤電車に揺られながら妄想に耽っていた。スマートフォンを見つめる人々の間で、ふと目を上げては、周りの乗客の人生を想像する。或いは夜な夜な寝床に入った後、街で見かけた人物の顔を思い浮かべては、その心の内を覗き込むように想像を巡らせている。
・・・なんかキモい
ちょっと付き合ってよ
こんな話をすると、気持ち悪いと思う人もいるだろうし、誰かはこれを無駄な妄想だと笑うかもしれない。でも、妄想は、僕の《《生きるための知恵》》を磨く大切な時間なのだ。
世間では、仕事の出来る人間というものを、得てして、才能や学識で判断しがちである。確かに、卓越した能力を持つ者は珍しくない。確かに、プログラミングが得意だとか、財務分析が上手いとか、そういった具体的な能力は重要だとは思う。能力はあるに越したことはない。だけど、でも、僕の経験では、優れた人間の中には、平凡としか言いようのないことが多い。ただ、相手の気持ちを読み取り、先を読んで準備をする能力は驚くほど高い。
先日、僕はある仲間と食事をした。IT業界で成功している彼は、最新技術に詳しい訳ではないし、複雑怪奇なプログラミング技術がある訳でもない。どちらかというと口下手だし、交渉力もないに等しい。だけど、仕事が絶えないのである。彼には人の心を読む力が備わっている。取引先との商談の席でも、相手の表情や声音から、その内心を察する術を心得ているのだ。
僕は疑問をぶつけてみた。「どうして、そんなに商談が上手くいくの?」と。彼は苦笑いを浮かべて答えた。「別して特別なことはしてないんだよね。ただ、相手の立場になって考えるようにはしてる」と彼はいう。業界動向、会社の規模、直面している課題・・・。それらを踏まえて、相手が何を求めているのかを想像し、シミュレーションを重ねるのだという。「なるほど」と僕は膝を打った。要するに、彼も日頃から妄想を重ねているのである。取引先の経営者が何を考え、何を望み、何を恐れているのか。その想像の中で、様々な可能性を巡らせ、準備を整えているのだ。
・・・凄いね
最近、ChatGPTをはじめとするAIの進化が話題だ。確かに、データ分析や文章作成、プログラミングなど、多くの領域でAIの能力は人間を超えつつある。でも、人の感情を理解し、場の空気を読み、相手の立場に立って考えることに関しては、まだまだ人間に分があるように思われる。例えば、「大丈夫です」という言葉の裏にある本当の気持ちを読み取ることは、現状のAIには困難だと思う。人間の表情や声のトーンから、その裏に潜む感情を読み取ることは、まだ完全にはできていない。そして、そこに人間の存在価値があるのではないかと、僕は考えている。
人は誰しも、感情の生き物である。どれほど理論的な議論を重ねても、最後は感情が物事を決する。商売においても、教育においても、医療においても、結局は人の心を理解することが肝要なのだ。そう考えると、日々の妄想は決して無駄ではない。むしろ、それは人間としての感性を磨く、貴重な修練なのである。相手の立場に立って考え、その心情を推し量る。そうした想像力こそが、今後ますます重要になってくるのではないだろうか。
うむ。そうだね
通勤電車で見かけるサラリーマン、コンビニの店員さん、公園で子供を遊ばせる親たち。一人一人にどんな物語があるのだろう。どんな喜びや悲しみ、期待や不安を抱えているのだろう。と妄想を繰り返すことで、相手が求めていること、期待していることを理解するためのヒントが得られる。
だから僕は今日も、電車の窓から見える景色に目を向けながら、様々な人々の人生を想像する。向かいの席に座った老紳士は、どんな人生を歩んできたのだろうか。改札口の前で歌う少女は、どんな家庭生活を送っているのだろうか。
これは決して、単なる変態の妄想ではない。人の心を理解しようとする、僕なりの真摯な努力なのである。少なくとも、僕ははそう信じて、今日も妄想の翼を広げるのである。
なんか、腑に落ちない・・・
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