何でも楽しむ力。僕が“変人”でいる理由とその価値

僕は他人からどう思われようが、「自分が楽しければ良し」と思うところがあって、さらには、僕が楽しんでいれば、勝手に人が集まってくるという経験があり、基本的に、いつも「どうやって楽しんでやろうか」と考えて、行動をしているんです。それこそ、誰もが嫌がるような仕事でも、誰かがやらないといけないなら、「楽しんでやってやろう」と。まあ、ちょっと狂人じみているのは否定しません。

狂人じみているかもしれませんが、それこそが僕の生き方なんです。例えば、ある時職場で誰もやりたがらない案件を任されたことがありました。データ入力の山、しかも古い紙の資料を一つ一つ確認しながらの作業です。普通なら億劫になるところですが、僕は違った視点で捉えることにしました。

「これって、まるで考古学者みたいじゃないか」

そう思った瞬間から、その作業が一気に面白くなったんです。一枚一枚のデータを「発掘された貴重な資料」に見立てて、その中からどんな「発見」があるのかを探していく。単調な作業も、視点を変えれば宝探しのような冒険に変わるんです。

周りの人たちは最初、僕のそんな態度を怪訝そうに見ていました。でも、不思議なもので、僕が楽しそうに仕事をしているうちに、少しずつ周りの空気も変わってきたんです。「どうしたらそんなに楽しめるの?」と聞いてくる同僚も出てきて、気づけば昼休みにはみんなで仕事の「楽しみ方」について話し合うようになっていました。

もちろん、全ての物事を即座に楽しめるわけではありません。時には本当に苦しい状況に直面することもあります。でも、そんな時こそ「これをどう楽しめるか」を考えることが、僕にとっては一種の生存戦略になっているんです。

人生の中で避けられない義務や責任はたくさんあります。税金を払うことも、規則を守ることも、時には面倒な手続きをこなすことも必要です。でも、それらを「仕方ない」と諦めてやるのと、「どうせやるなら楽しんでやろう」という気持ちでやるのとでは、まったく違う経験になります。

実は、この考え方は仕事だけでなく、人間関係にも良い影響を与えています。自分が心から楽しんでいると、それが自然と周りにも伝わるんですね。無理に合わせようとしたり、取り繕ったりする必要はありません。ありのままの自分で、純粋に楽しむ。すると、不思議と同じような価値観を持つ人たちが集まってくるんです。

よく「空気を読め」とか「周りに合わせろ」と言われる世の中ですが、僕はむしろ「空気を作る側」になることを選びました。自分が楽しむことで、周りも自然と楽しくなる。それって素晴らしいことじゃないですか?

確かに、時には変人扱いされることもあります。でも、それも含めて「まあ、面白いじゃないか」と笑い飛ばせる。そんな態度でいると、不思議と周りの目も気にならなくなってきます。むしろ、自分らしさを出すことで、新しい可能性が開けてくることの方が多いんです。

例えば、先日も会社の大規模な整理整頓プロジェクトを任されました。普通なら「面倒くさい」で終わる話です。でも、僕はそれを「秘密基地づくり」に見立てて楽しむことにしました。収納方法を工夫したり、動線を考えたり、まるで子供の頃に夢中になった基地作りのように取り組んでいました。

結果として、作業効率が大幅に改善され、経営陣からも高い評価を得ることができました。でも、それは結果であって目的ではありません。純粋に自分が楽しむことに集中した結果、良い成果につながったというわけです。

人生は一度きり。どうせ過ごすなら、できるだけ楽しく過ごした方がいいじゃないですか。他人の目を気にして自分らしさを押し殺すより、自分の感性を信じて楽しむ方が、結果的に充実した人生になると僕は信じています。

もちろん、これは僕個人の価値観であって、すべての人にこの生き方を押し付けるつもりはありません。でも、少なくとも僕にとっては、この「何でも楽しむ」という姿勢が、人生を豊かにしてくれています。

たまに「そんな考え方は甘い」とか「現実を見ていない」と言われることもあります。でも、現実を見ていないわけではありません。むしろ、現実をしっかりと見つめた上で、それでも楽しむ方法を探す。それが僕の選んだ道なんです。

結局のところ、人生は自分のもの。他人の価値観に振り回される必要はありません。自分が心から楽しいと感じることを大切にし、それを追求していく。そんな生き方も、案外悪くないと思うんです。

そして、こんな生き方をしていると、不思議と似たような考えを持つ仲間に出会えるものです。みんな、最初は「普通」を演じていた人たちが、僕の態度を見て「実は自分も…」と打ち明けてくれることがあります。そういう瞬間は、本当に嬉しいものです。

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