就職氷河期世代を救済する唯一の方法

働き方

この歳になってねたみ根性をき出しにするのもしゃくだが、少し、僕の愚痴に付き合って頂きたい。バブル崩壊後の「就職氷河期」に社会人となった世代の苦悩は、今なお日本社会にどす黒い影を落としているのである。僕は大学院修士課程を修了後、2000年に就職した50歳の平凡なサラリーマンだ。最近、新入社員の初任給を40万円に設定する企業がメディアで持てはやされているが、これを目にする度に、苦い笑いが込み上げてくるのである。

我々が戦った就職戦線は、まさに「氷河期」という言葉が生ぬるいほどの惨状さんじょうであった。僕の初任給は18万円と記憶をしている。今思えば可笑しな話だが、それでも就職できただけでも「神様」に手を合わせろと言われた時代である。傲慢ごうまんな企業からは「文句があるなら明日から来なくていい」と威丈高いたけだがに言われ、労働者など使い捨ての同然であった。その後20年以上が経過したが、給与水準は、まるで凍り付いたかのように停滞したままである。それでも我々は、与えられた環境の中で、健気にも歯を食いしばって生きてきたのだ。

今どきの新入社員の待遇をねたんでいるわけではない。もとい、妬んでいるし、羨ましいと思っている。表面上は、若い世代の処遇改善は、大いに結構な話だとは思っている。だが、ちょっと待ってほしい。我々の世代が置かれている惨状にも、せめて片目くらいは向けていただけないものか。バブル崩壊以降の「失われた30年」も、少子高齢化も、我々世代を切り捨てた無能な政治家どもの所業ではないのか。

最近になって「就職氷河期世代への支援」などと、にわか勉強を始めた政治家が増えていることは知っている。だが、所詮は選挙対策の空手形。実効性のかけらもない空疎な提案の数々に、もはや失笑すら漏れてこない。

はっきり申し上げよう。いまさら「学び直し」だの「キャリアアップ支援」だのと言われても、「いつまで搾取さくしゅする気か」という憤りしか湧いてこない。我々をずっと冷たくあしらってきた手前、今更「支援します」などと、よく顔向けて言えたものである。

我々の世代は、バブル崩壊後の経済停滞、リーマンショック、コロナ禍と、まるで災難の見本市のような人生を歩んできた。その度に「自己責任」の一言で片付けられ、支援など微塵みじんも受けていない。おまけに年金の支給開始年齢は、まるでエスカレーターのように上がり続け、老後の展望など立つはずもない。

ここで一つ、控えめながら提案をさせていただく。就職氷河期世代に限り、年金支給開始年齢を60歳とする特例措置を導入してはどうか。これには、以下のような利点がある。

まず、我々の世代は、そもそも資産形成など夢のまた夢である。給与水準が氷点下のまま、老後の備えなど持てるはずもない。せめて60歳からの年金支給で、この世代特有の経済的困窮を和らげることはできないものか。

次に、これは福祉政策という建前で、実は経済対策にもなり得る。適切な年金支給により、我々世代にも多少の余裕が生まれれば、消費活動を通じて経済の活性化にも寄与できるのである。贅沢など望んでいない。ただ、明日の心配をせずに生きていける程度の余裕が欲しいだけだ。

最後に、この措置により、就職氷河期世代も60歳までは何とか働き続けられる。「あと一〇年だけ頑張れば・・・」という希望が抱けるのだ。年金受給の希望が見えれば、それまでは自力で頑張ろうという気にもなれようというものである。

もちろん、年金財政は逼迫している。だが、特定世代限定の特例措置であれば、財政への影響も限定的なはずだ。我々は、ただ運が悪かっただけで、長年にわたり不当な扱いを受けてきたのである。

しかし、こんな提案をしても、どうせ国は動かないだろう。我々氷河期世代は、もう何度も裏切られてきた。今更、希望など持つつもりはない。ただ、これだけは言わせていただきたい。このまま我々を切り捨て続ければ、確実に日本社会の負債として跳ね返ってくるはずである。その時になって「対策が必要だ」などと騒いでも、もう遅いのだ。

(了)

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