科学技術の進歩は、まるで急流のように容赦なく人々の生活を変えていく。その流れに乗れる者と乗れない者との間に、深い淵が刻まれていく様を、僕たちは、リアルタイムで目の当たりにしている。
かつて夢見られた理想郷。そこでは万人が等しく幸福を享受できると信じていた。だが、現実はそう甘くはない。科学技術の発展は、確かに人類に大きな可能性をもたらした。しかし、その恩恵は万人に平等には行き渡らず、むしろ、既存の格差を一層拡大させる結果となっているのだ。
特にデジタル技術の台頭は、社会に新たな分断線を引いた。コンピュータやインターネットという技術は、それを使いこなせる者には大きな力となる。必要な情報を素早く取得し、効率的に処理できる者は、新しい時代の波に乗って さらなる高みへと上っていく。
一方で、この技術の波に乗り遅れた者たちをじわじわと社会の周縁へと追い込んでいく。彼らの多くは、自分たちが置かれている状況すら正確に認識できず、デジタル社会から取り残される。その「情弱」と呼ばれる人々は、その遅れを取り戻すことがますます困難になっていってしまうのだ。
企業でのパソコン普及率を見れば、この現実は一層鮮明になる。2000年以降、職場でのパソコン導入は急速に進み、2002年には90パーセントを超えた。つまり、今日の職場で苦悩している中高年の多くは、すでに20年近くパソコンと向き合ってきたことになる。それでもなお、基本的な操作にも戸惑い、若い世代との能力差に苦しんでいる。
この現実は、単なる世代間ギャップの問題ではない。より本質的な問題がここにある。それは、技術の進歩が加速度的に速まっている事実だ。かつての「追いつけば良い」という発想は、もはや通用しない。技術の進歩は、立ち止まる者を容赦なく置き去りにしていくのである。
このような状況下で、漠然とした期待を抱くことは危険である。「いつかは」という言葉に逃避せず、今この瞬間から行動を起こす必要がある。なぜなら、技術の進歩は待ってはくれないからだ。
特に懸念されるのは、デジタル技術への適応に苦しむ人々が、その状況を正確に認識できていない点である。彼らの多くは、自分たちが直面している困難が一時的なものだと考えている。しかし、それは深刻な誤認である。技術の進歩は、待っている人の水準に合わせて立ち止まることはない。
皮肉なことに、このデジタル化の波は、全ての人に平等にチャンスを提供していた。小学生でさえ、スマートフォンを使いこなす時代に、より長い期間をその環境で過ごしてきた大人たちが、なぜ適応できないのか。それは、与えられたチャンスを活かそうとしなかった結果に他ならない。
科学技術は、確かに人類に大きな可能性をもたらした。しかし、それは万能の魔法の杖ではない。正しく使いこなせれば大きな力となるが、それを怠れば、逆に不幸の淵へと追いやられかねない。技術の進歩は、使う側の意識と能力に大きく依存している。
この現実を直視せずして、真の解決策は見えてこない。漠然とした期待や、「いつか何とかなる」という楽観は、もはや通用しない時代なのだ。今、必要なのは、現状を正確に認識し、具体的な行動を起こすことである。それこそが、この急速に変化する社会で生き残るための唯一の道なのかもしれない。
(了)
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