就職氷河期に翻弄された処世術。平成の動乱を漂泊し獲得した智恵

働き方

時代というものは、ときに、人間の運命を翻弄ほんろうするものである。

昭和から平成への移り変わりの頃、我が国、日本では奇妙な現象が起こっていた。「就職氷河期」と後に呼ばれることになる、若者たちの苦難の時代である。その世代の一人である僕は、昭和五〇年二月の生まれである。

僕たちより上の世代は、いわゆるという狂瀾怒濤きょうらんどとうの時代を生きた。当時の会社という組織は、今の会社とは、まるで異なる存在だった。そこには、封建的な世界が形成され、年功序列という厳然げんぜんな秩序があり、さらに終身雇用という神のごとき契約があった。

もちろん、現代でも終身雇用制度は生きている。だが、僕たちが引退する二〇年後まで、その制度が維持されるかというとはなはだ疑問である。会社という組織は、自らを存続させるために、僕たち労働者から搾取し「今は我慢をしてくれ。この先は幸せにする」と長い間、騙し続けてきたのだ。そんな会社に夢や期待を抱いてはいけない。

時代は残酷ざんこくなまでに変わってしまった。僕たちの世代が社会に出ようとした時、封建的で秩序さえ守っていれば、定年まで安泰あんたいという制度は、すでに崩れ始めていたのである。それは社会の通念、価値観の大きな転換期であった。

その時に気付き、自ら行動を起こしていれば良かった。当時の僕は、会社に期待を抱いていたのである。会社だけではない。日本という国にも期待を抱いていた。純粋に耐えれば、先は明るいと思っていた。何十年も忍耐を強いられるとは露程つゆほども感じていなかった。

面白いことに、この混沌こんとんとした不景気の嵐の中を生き抜いた人たちには、ある共通した特徴が見られる。それは、誰かの言葉を無条件に信じることは愚策ぐさくであるという精神だ。僕らは、本質を見極め、情報を吟味ぎんみえ、自らの頭で考え、行動することの大切さを学んだ。それは苛烈しれつな環境が育んだ、一種の処世術だ。

しかし、僕らの世代の中にも二つの流れができた。一つは、時代の荒波を泳ぎきった人たち。もう一つは、古い価値観に縛られ、奈落ならくの底へと落ちていった人たちである。

僕たちの世代の多くは、「会社のため」という言葉に違和感を覚える。それは決して不誠実さからではない。むしろ、現実を直視し、肌感覚を研ぎ澄まし、他人の意見に惑わされず、自ら吟味することで生まれた感覚だ。過去には、会社への忠誠を誓うことが美徳とされた時代があった。しかし、その価値観はすでに風化しつつある。

僕たち氷河期世代は、ことを前提に生きることを強いられた。しかし、それは必ずしも不幸なことではなかった。ないものは創り出せばいい―その考えは、戦うことを恐れず、前に進む知恵となり、今の僕を支えている。

今となって、日本は就職氷河期世代の救済をうたっている。だが、僕たちは、そんながないことをよく知っている。世の中というものは、待っていても何も与えてはくれない。何度も騙されているうちに、真偽しんぎを見極める目が磨かれてきたのだ。

自らの人生は、自らの手で切り開くほかない。それこそが、就職氷河期という厳しい時代が僕たちに教えた最も重要な教訓なのである。

(了)

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