勘違いされている『デザイン』の本質とは

働き方

デザインという言葉ほど、勘違いされやすい概念はないかもしれない。

世間一般では、デザインは見た目を飾る行為、つまり「美しさを追求すること」として語られがちである。でも、実際のところ、デザインの本質とは、「問題を解決すること」であり、その目的を達成するためのとして「見た目」や「装飾」があるに過ぎない。

この勘違いが、web屋のデザインを生業なりわいにしている僕にとっては実に歯痒い問題なのである。  

僕は現在、webサイトの構築を生業としている。それも「デザイン」を中心に活動している。しかし、「デザイナー」という肩書きを聞いた人々は往々にして、「センスが命」だとか、「華やかでクリエイティブな仕事」だと想像するようだ。

その印象は、現実とはかけ離れている。実際のデザインという仕事は、むしろ地味であり、膨大なを必要とする作業の連続である。  

「論理的」という言葉に疑問を抱く方もいるだろう。しかし、デザインとは本来、物事の本質を見極め、それをいかに分かりやすく形にするかという行為なのだ。単に、美しさを追求するだけではなく、使う人にとって最適な解決策を提示することが求められる。この「最適な解決策」を導き出すために、膨大な観察や分析、試行錯誤が必要になる。

例えば、webデザインを例に挙げると、単にサイトを作ることが目的ではない。目的は、サイトを訪れるユーザーに情報を適切に届けることや、特定の行動を促すことだ。

そのためには、色や形、レイアウトといった視覚的な要素を使いながらも、全体を論理的に設計する。どのような情報を優先的に伝えるべきか、ユーザーがどのように操作するのかといった要素を徹底的に分析し、それに基づいてデザインを構築する。つまり、「見た目」は手段に過ぎず、目的は「課題解決」なのである。

ところが、この「課題解決」をおろそかにするデザイナーが少なくない。中には、見た目だけを整え、膨大な費用を請求するやからもいる。そうした輩が作り上げたwebサイトは一見華やかに見えるが、実際には何の役にも立たないことが多いのだ。

これはデザインの本質を理解していない、いわば「似非えせデザイナー」の典型である。

僕が思うに、デザインには三つの主要な要素がある。

第一は「本質の理解」である。課題の根本的な原因を見つけ出し、それを正確に捉えることがデザインの出発点である。

第二は「解決策の設計」だ。課題解決に向けた具体的なプロセスを練り上げる。

そして、第三が「機能や装飾」である。ここで初めて、見た目や操作性といった外面的な要素が形作られる。

これら三つの要素を通じてデザインが完成する。多くの場合、デザインは、第三のの部分だけが注目されるが、その前段階・・・本質の理解、解決策の設計の部分の方が大切で、デザインの苦しい部分なのである。

ここで、近年注目されている「デザイン思考」という概念について触れておきたい。デザイン思考は、ユーザーを中心に据えた課題解決の手法であり、製品やサービスの開発プロセスにおいて創造性と実践的な解決策を組み合わせるアプローチだ。

この手法は、共感、問題定義、発想、試作、テストという五つの段階を繰り返しながら進める。  

まず、ユーザーの体験やニーズを深く理解するために観察やインタビューを行い、問題の本質を把握する。次に、その情報を基に具体的な課題を定義し、その解決策を自由に発想する。そして、試作段階ではそのアイデアを実際に形にし、ユーザーに試してもらうことでフィードバックを得る。このプロセスを繰り返すことで、より優れた解決策が生み出されるのだ。  

デザイン思考の最大の特徴は、その柔軟性とユーザー中心主義にある。問題解決のための道筋は一つではなく、試行錯誤を重ねる中で最適な答えを見つけ出す。その過程において、失敗はむしろ学びの機会とされる。こうした姿勢は、現代の複雑な課題に対処する上で極めて有用である。  

デザインという言葉が「見た目」だけに囚われている現状は、非常に残念なことである。デザインは本来、問題解決のための知的な営みであり、その本質を理解しないまま表面的な美しさに注目するだけでは、真の価値を見出すことはできない。僕としては、デザインに携わるすべての人々がこの真実に気づき、その価値を再認識することを切に願ってやまない。

(了)

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