好きか嫌いかは別にして、現代の日本では、正しいことは正義ではなく、より多くの賛同を得られる意見が正義です。これは民主主義の原理原則と思われていますが、実際のところは封建的な階級社会の権力者と服従者の関係と一緒です。つまり、現代社会では権力を獲得し、多くの支持を集めることが正義であり、権力に抗あらい、弱きを助けるような人道的、道徳的、宗教的な正義というのは、面倒くさがられ、誰得でもない悪である認定されています。
それなら僕は悪になる。
世間から冷たい目を向けられようが、僕の信念に沿り、「弱きを助け、強きをくじく」時代遅れの英雄を目指し、腐った世の中に一石を投じたい。
歯に衣を着せずに言いますと、現代の幼稚で刹那な日本の国民性と民主主義との相性は最悪で、権力を持つ一部の特権階級の大きな声が正当化され、多くの人間は自らが犠牲になり、心の中では狂っていると思っても、受け入れざるを得ない状況を作り出してしまうのです。それは、我々、日本人のDNAに刻まれた封建社会で生き抜くことに長けた伝統であり、現代も脈々と受け継がれ、社会概念として根強く残っているのです。
しかし、この「多数決による正義」は、本当の意味での正義とは程遠いものです。なぜなら、多くの人々が賛同するからといって、それが必ずしも正しいとは限らないからです。歴史を振り返れば、多数派の意見が時として重大な過ちを犯してきたことは明らかです。
現代の日本では、SNSやメディアを通じて形成される「空気」が、個人の判断や行動を強く制限しています。その「空気」に逆らうことは、社会的な制裁や排除につながりかねません。まるで中世の村八分のような同調圧力が、デジタル化された形で現代に蘇っているかのようです。
また、デジタル社会だけではなく、同じような事象が実社会でも行われています。権力を持つ人間の同調圧力は「空気」になり、周りの人間はその場の「空気」読まなければ、厄介者として認識をされてしまいます。例え、権力者の意見が間違っていても、正すことは正義ではないのです。
しかし、この状況に甘んじていては、社会の歪みはますます深刻化するばかりです。真の正義とは、時として少数派の立場に立ち、主流派の意見に異を唱えることから始まります。それは決して容易な道のりではありませんが、誰かがその第一歩を踏み出さなければなりません。
僕が悪を選んだ理由は、そこにあります。既存の価値観や権力構造に疑問を投げかけ、声なき声に耳を傾け、弱者の立場に寄り添うことは、現代社会では「悪」とされるかもしれません。しかし、それこそが本来の正義の在り方なのではないでしょうか。
特に現代の日本では、経済的な格差が拡大し、社会的な分断が深まっています。にもかかわらず、多くの人々はその現実から目を背け、既存の秩序に従順に従っています。それは表面的な平和を保つための選択かもしれませんが、根本的な問題の解決にはつながりません。
僕たちに必要なのは、「空気」や「多数決」に縛られない、独立した思考と行動力です。それは時として孤独な戦いになるかもしれません。周囲から理解されず、時には非難の的になることもあるでしょう。しかし、その覚悟なくして、真の変革は生まれないのです。
現代の民主主義は、単なる多数決のシステムではありません。それは、少数派の権利も守られ、多様な価値観が共存できる社会を目指すものであるはずです。しかし、日本の現状は、形式的な民主主義の下で、実質的な封建制が維持されているようなものです。
この状況を打破するためには、個々人が自らの良心に従い、「正しいと思うこと」を実践する勇気を持つ必要があります。それは必ずしも大きな行動である必要はありません。日常生活の中で、不当な扱いを受けている人々に寄り添い、声を上げることから始められるはずです。
確かに、このような行動は時として非効率的に見えるかもしれません。多数派に従っていれば、物事はスムーズに進むでしょう。しかし、その「効率」の裏で、どれだけの人々が苦しみ、傷つき、諦めているのでしょうか。
僕が目指す《ヒーロー》とは、華々しい活躍をする存在ではありません。それは、日々の生活の中で、小さな不正に立ち向かい、弱者の味方となる存在です。その行動は、時として世間から理解されず、「時代遅れ」と揶揄されるかもしれません。
しかし、そのような個々の行動が、やがて大きな変化を生み出すのです。それは、封建的な思考に縛られた現代社会に、新しい価値観をもたらす可能性を秘めています。
真の民主主義とは、多様な価値観が共存し、弱者の声にも耳を傾けることのできる社会システムのはずです。その実現のために、僕は悪の道を選ぶ。それは、現代社会の「正義」に抗う、新しい形の正義の実践なのです。
この選択は、決して楽な道のりではありません。しかし、誰かが声を上げ、行動を起こさなければ、社会は変わることはないでしょう。私たちには、より良い社会を築く責任があるのです。
その第一歩として、僕は自分の信念に従い、行動を起こす。それが世間からどのように評価されようとも、自分の良心に従って生きていく覚悟がある。なぜなら、それこそが真の意味での正義の実践だと信じているから。
(了)
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