真冬にバイクに乗る中年の気持ちを晒す

コラム

このクソ寒い中、バイクで走るなんて馬鹿げているとは思うが、どんなに寒くても、急にバイクで走りたくなるのである。これは、単にバイクが好きとかいうレベルではなく、自らの身体を痛めつけることにある種の喜びを感じる変態としての行動であり、本来は隠すべき性癖だと思う。

まお
まお

寒くないの?

まさに。その通りである。僕のように冬に走るライダーは、世間一般の常識から外れた異常性格の持ち主に違いない。まともな人間なら、暖かい車で、好きな音楽を聴きながら、快適に移動するはずだ。

しかし僕は違う。零度近い気温の中、防寒着を身にまとい、手には厚手のグローブ。それでも染み込んでくる冷気に身を震わせながら、なお前に進もうとする。これはもはや、マゾヒズムと呼ぶべき行為である。

まお
まお

・・・ドM

立っているだけでも嫌になる冷気の中、風を受けるという行為は、馬鹿の極みである。風は容赦なく襲いかかってくる。それでもバイクから降りようとはしない。むしろ、その痛みを心地よく感じている自分がいる。これはもう立派な異常性癖である。指先が冷え切って痺れたような感覚を「痛くて気持ちいい」などと言い出す始末だ。普通の人間がそんなことを口にするだろうか。夏場なら分からなくもないが、真冬にそんなことを言うのは、明らかに頭がおかしい。

それでも、この寒さの中を走り抜けた後の達成感は何物にも代えがたい。全身が凍えているのに、心はどこか温かい。いや、決して暖かくはない。これは恐らく、バイク愛であり、バイクの惚れた人間のさがであり、惚れた女性から、冷たくされることで得られる快楽・・・普通の人間には理解できない快感なのだ。

まお
まお

かっこつけてるけど・・・

現代の人間は、快適性を求め、自然の猛威を味わうことが減ってしまった。それは、動物として備わっていた危機管理能力を失うことと同義ではないか。我々、生きるモノ全ては、自然界の中で、自らの限界を確認し、より過酷な環境へと身を置くことで、さらなる進化を遂げるのである。

ガソリンスタンドで給油する時、店員から「こんな寒い日にバイクですか?」と驚かれることがある。そう、僕は変態なのだ。しかも、その事実を誇りに思っている。これこそが末期症状というものだろう。

まお
まお

そうだね・・・

そんな極寒の中、バイクで道の駅などによると、同じ変態・・・バイク乗りと出会うと、妙な連帯感が生まれる。互いに「寒いですね」と言い合いながら、どこか嬉しそうな表情を浮かべている。これは明らかに、同じ性癖を持つ者同士の密やかな歓びである。家族からは心配され、友人からは呆れられる。「なんでそんな寒い思いをしてまで」と言われても、説明のしようがない。それでも、エンジンをかける度に心がおどる。これはもう、治療の施しようのない重症患者の症状である

春になれば、また普通のバイク乗りに戻れる。とは理解をしているのだが、どうしてもエンジンをかけ、駆け出しだくなるのである。そもそも、僕は真夏と真冬はバイクを降りる軟弱ライダーであった。なのに、五〇歳を迎える頃から、凍てつく環境の中をバイクに跨り、垂れる鼻水をそのままに、身体の芯から冷え「さみー」と心の中で絶叫しながら、五感を失っていく瞬間を欲するようになった。それは、ことを確認し、神に感謝するための儀式みたいなものだ

まお
まお

大袈裟な・・・

僕は確かに変態かもしれない。でも、この性癖を共有する仲間がいる限り、決して孤独ではない。むしろ、この異常性癖を受け入れ、楽しんでいる自分がいる。これぞ、真の変態の境地なのかもしれない。寒風に身を切られながら、エンジン音を響かせて走る。凍える手足、曇るシールド、それでも前に進む。この行為こそが、冬のバイク乗りという特殊な性癖を持つ者の生きる証なのである。

そう、僕は誇りあるなのだ。世間の同調圧力にも屈せず、自らの意思で走り続ける。これは、もはや治療の必要もない、完成された変態の姿なのかもしれない。

(了)

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