プログラミングを生業にしていると、急に神様が降りて来て、とてつもなく美しいロジックが組めることがある。その瞬間の恍惚感は言葉には表せないのだ。なんというか、混沌とした世界から、秩序が生まれる瞬間というか、無から有が生まれる、世界の神秘を目撃した瞬間を目撃するような感覚なのである。
無数の可能性が交差し、規則性や法則など無く、ただ無秩序だと感じる断片が、まるで一本の糸に導かれるように、完璧な形へと収束していくのである。その完璧で美しいコードを眺め、自己満悦に浸る時間は至極幸せなのだ。プログラミングは、実に奥が深い。僕の理想とするプログラムは『単純な命令ばかりで、簡単そうに見えるが、詳しく追うと無駄を一切排除し、論理的に破綻していない強固なプログラム』である。
僕の理想のプログラミングとIT技術の発展は密に関係している。
1990年代後半から2000年代初頭、いわゆるITバブル期において、プログラミングは一種の職人技のように扱われていた。当時の優秀なプログラマーたちは、複雑で難解なコードを書くことを誇りに感じていたのである。その背景には、急速な技術革新という時代の特徴があった。当時はハードウェアの性能も低く、またプログラミング言語も処理速度が遅く、プログラマーの腕にかかっていたのだ。処理速度を考えたプログラミングを行える人間が賞賛されていた時代である。
ムーアの法則に従ってハードウェアの性能は18ヶ月で倍増し、新しいプログラミング言語や開発手法が次々と登場していた。そのような環境下では、既存のシステムを改修し続けるよりも、最新の技術でゼロから作り直す方が合理的な選択であった。理由は、開発者にとっては最新技術での開発経験を積むことができ、利用者にとっては最新のハードウェアの性能を最大限に活用できるシステムを手に入れることができたからである。つまり、保守性の低さは度外視していたのだ。優秀なプログラマー以外・・・もとい、プログラミングを行なった人間以外は、何人たりとも、改修が行えなかったとしても問題はなかったのである。
しかし、時代は大きく変わった。主要なプログラミング言語の多くが成熟期を迎え、枯れた技術となったのだ。基本的な文法や機能は安定期に入ったのである。ハードウェアの進歩も以前ほどの劇的な速度では進まなくなった。そして何より、プログラミングという技術自体が、一部の職人だけのものではなく、より広い層に普及したのである。
プログラミング教育が「読み」「書き」「そろばん」のように義務教育にも取り入れられた。つまり、プログラミングは、もはや特別な技術ではなくなったのである。今はまだ、特殊な能力だとしても、これからは誰もが使える技術になるのだ。そのため、難解で複雑なコードを書くことよりも、誰もが理解できる、簡単で明快なコードを書くことが重視されるようになった。
プログラミングは、論理的思考と創造性が融合する領域なのだ。それは、数学のような厳密な論理性を持ちながら、芸術のような創造性も必要とされる。また、未知の問題に対する解決策を探る過程は、まさに冒険そのものなのである。
プログラマーは、時として職人として緻密なコードを書き、時として芸術家として革新的なアイデアを形にし、そして時として科学者として新たな可能性を探求するのだ。このような多面性こそが、プログラミングの魅力であり、それはただの作業を超えた、アートであり、科学であり、そして冒険なのである。
技術の進歩とともにプログラミングの形は変わっていくが、その本質的な魅力は変わることがないのだ。むしろ、より多くの人々がプログラミングに携わるようになった現代だからこそ、その創造性と可能性は更に広がっていると言えるのである。
(了)
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