氷河期世代の覚悟 〜 現役七〇歳を迎える未来

働き方

日本の現状を俯瞰的ふかんてきに観察をすると、年金支給開始年齢が七〇歳まで引き延ばされるのは、既定事実のような気がする。

仕事が好きで好きでたまらなく、仕事が生き甲斐がいで、会社に行くことが楽しみである奇特な人間なら、まだしも、僕のように仕事が苦痛で、会社に行くことが憂鬱ゆううつに感じ、人生の最期は、世間のを捨て、自由に楽しみたいと思っている人間からすると、すごく残念に感じる。

現在働いている僕たちは、七〇歳まで現役で働くという現実が待ち受けている。

いくら健康寿命が伸びていると言っても、老いは容赦ようしゃなく、身体や精神をむしばんでいく。現在、五〇歳の僕でさえ、この頃では節々は痛むし、夕方近くなると視力は落ち、少しの運動で息切れをする。現実的に考えて、年金支給開始年齢の七〇歳という年齢は、認知力が鈍り始め、自動車免許の返納を考える時期だし、感受性や体力が衰え、心をおどらせている音楽も、時間を忘れて楽しむ趣味も、何もかもが色褪いろあせ、死の気配に気づく頃、やっと仕事から解放されるのだ。

残念ながら、老後の楽しみとして考えていることが、楽しめない未来が待っている。

この世は無慈悲むじひにも、老体にむちを打ち、僕たちを歯車として扱い続ける。資本主義という名の檻の中で、僕たちは踊り続けることを余儀よぎなくされている。狂おしいほどの怒りが込み上げる。僕たち世代は、を夢見ることすら許されていないのである。

でも、その怒りの奥底には、どこか切ない優しさみたいな感情も潜んでいる。みんな必死に、僕も、あなたも健気に生きている。例え、この世がゆがんでいたとしても、僕たちは、この世界で生きることを求められている。

人間は誰しも、心の中に純粋な光と底なしの闇を抱えている。僕だってそうだ。夜、会社からの帰途につく電車の中、窓に映る自分の面影を見つめながら、時々錯乱さくらんしそうになる。この顔の下に潜む狂気には、誰も気付いていない。いや、きっと気付いていても、みんな見ないふりをしている。

僕がは笑顔を振りまくく人間の、その笑顔の奥に潜む疲れた眼差しに、人生の哀しみを見る思いがする。でも、それでいい。この狂気は、実は、現代に生きる僕たちの最後の人間性なのだ。現代社会の効率を求め、無駄を排他はいたし、血の通わない無機質なシステムに完全に飲み込まれないための、最後のとりで・・・僕たちの中に残された純粋な魂の叫びなのである。

退職した父親世代の人たちを見ていると、不思議な安らぎを感じることがある。まるで、長い拷問ごうもんから解放されたのような、どこかうつろで、でも、確かな自由を手に入れた表情。その姿に、僕は痛みと希望を同時に見る。

若い頃、僕は冷めた人間を演じていたけど、将来に希望を抱いていた。どんなに理不尽な世の中でも、頑張っていれば夢は必ず叶うと、青臭いことを純粋に信じていた。今考えると、すごく恥ずかしいけど・・・本気で信じていた。

その夢は必ずしも大きなものではなかった。ただ、好きな本を読んで、好きな音楽を聴いて、好きな仲間とはしゃぐ、一人になりたいときは、大好きな車やバイクで疾走する。そんな楽しい時間を過ごしかった。

でも、その小さな幸せすら、世の中は容赦ようしゃなく搾取さくしゅしていく。

しかし、不思議なことに、その残酷ざんこくさの中にも、ある種の優しさは存在している。人々は傷つきながらも、なお優しさを失わない。疲れ果てた仲間に差し出されるコーヒー、悩んでいる相手に何も言わずそっと寄り添うぬくもり、困っている見知らぬ人にさりげなく声をかける瞬間。そんな些細ささいな光景の中に、人間の尊厳そんげんは確かに生き続けている。

七〇歳まで働く未来は、確かに暗い影を落としている。でも、その影の中でこそ、僕たちは真実の光を見出せるのだろう。狂気と理性、絶望と希望、その境界線上で揺れながら、それでも僕たちは前に進んでいく。進んでいくしかない。

老いていく身体に、新しいシワが刻まれるたび、それは人生という狂詩曲の新しい小節なのだと思うことにしている。感受性が失われていくのではない。ただ、その質が変化しているだけなのだ。若い頃の鋭い痛みは、いつしか深い共感へと変わっていく。

縛られているという事実は、ある意味で僕たちを自由にする。普段は隠している本性を隠すことで、対比的に、真の自分と向き合う機会を与えてくれる。その時、僕たちは、生きる本質的な意味に初めて気付くのかもしれない。

だから僕は、この純粋さと狂気、優しさと痛みが入り混じる混沌こんとんとした感情を抱えながら、毎日を生きている。それは決して後ろ向きな感情ではない。むしろ、この狂ったとしか思えない現実を受け入れ、それでも、健気に生き続ける強さになっている。

ふと見上げた夕暮れ空は、今日も美しい。明日もまた、僕たちは働く。それは呪いであり、祝福でもある。この矛盾に満ちた真実を受け入れながら、僕たちは生き続けるしかない。それが、人間という存在の宿命なのかもしれない。

現実を受け入れ、がんじがらめに縛り付けられた生活の中で、少しでも楽しめる娯楽を見つける。これまでの人生と同じように・・・。

(了)

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