バイクという乗り物は、人が生きていく上において必要不可欠なものではない。むしろ、その存在自体が、現代社会の理に反するものかもしれない。危険であり、不便であり、ましてや誰もが楽しめるものでもない。そう言い切っても過言ではない。
だけど、その非合理の中に、人の世の真実が隠されているのである。現代のように、便利さを追求するあまり、多くの人は自らの肉体で感じる実感というものを失いつつある。その中にあって、バイクに跨るライダーたちは、あえて不便を選び取った変態なのである。
僕もまた、その変態の一人である。夏の炎天下を走れば、まるで地獄の業火に身を投じているような暑さに襲われる。極寒の冬空は骨の髄まで凍えさせ、まるで修験者の荒行のような試練となる。雨に打たれれば、着ているモノも持ち物も、ことごとく、びしょ濡れになるのだ。どう考えても、正気の沙汰ではない。
でも、その不条理の極みにこそ、バイクに乗る真髄が宿るのだ。夜間の走行ともなれば、無数の虫が顔面を直撃する。口を開けば、思いも知らぬ蛋白質の供給となろうが、その一撃一撃に、僕たちライダーは、生きていることへの感謝を覚えるのである。これが、バイク魅せられた者の性である。
冬の走行も、まさしく修行そのものだ。手袋の中で指は凍えてちぎれそうになる。それでも、走る続ける。「この峠道の景色が最高!!」などと叫びながらも、内心では「ドMじゃね?」とほくそ笑む変態が同居している。しかし、帰宅後に温かいコーヒーを啜りながら、次のツーリングの計画を立てる。この矛盾こそが、バイクに魅入られた者の宿命なのだ。
金銭の面においても、バイクは非合理極まりない。ガゾリン代に始まり、オイル・消耗品の交換、車検、さらには改造の費用と、まさに、金食い虫としか言えない。だど、バイクと共に走り抜けた一日の充実感は、そのような経済的損失を超越したものなのだ。
最も不思議なのは、同じバイクに乗る者同士の謎めいた連帯感だ。道中で出会えば、互いに手を挙げて挨拶を交わす。見ず知らずの他人同士でありながら、瞬時に通じ合う何かがある。自動車では決して味わえない、奇妙な繋がりである。
結局のところ、バイクの魅力とは、理屈を超えたところにある。困難も、不便も、危険も、すべてを含めて愛おしいのだ。外から見れば狂気の沙汴かもしれぬが、バイク乗りにとってはそれこそが人生の真髄なのである。
世間の人々は、バイクに乗る人たちを狂人だと呼ぶかもしれない。だど、その狂気の中にこそ、人生を楽しむ人間の智恵が宿っているのだと思う。その智恵とは、不便の中に見出す歓び、非合理の中に感じる生の躍動、そして孤独の中で結ばれる絆の尊さである。
これこそが、バイクという工業製品の魅力であり、バイカーたちの真実なのだ。
(了)
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