スーパーカブは実用品という名の完成形である。
これは世界が認めた事実である。バイクとは、しばしば趣味の象徴として語られる。しかし、ホンダ・スーパーカブは、趣味のバイク……普通のバイク乗りたちからは、少し距離を置いた場所に立っている。華やかさよりも信頼性。速さよりも確実性。刺激よりも継続性。
新聞配達、郵便配達、通勤、通学、買い物。あらゆる「日常」という現場で鍛え抜かれてきたこの工業製品は、贅沢を削ぎ落とした機能美のかたまりだ。
空冷単気筒エンジンは静かに、しかし粘り強く回り続ける。燃費は驚異的。維持費は控えめ。操作は簡単。壊れにくい。
それは派手な主張をしない。だが、裏切らない。
スーパーカブとは、移動という行為を極限まで合理化した結果、生まれた生活の道具である。そして、その完成度は、世界中で長く愛され続けてきた事実が証明している。
クロスカブ110は、実用の殻を破った存在
しかし、人は合理性だけでは生きていけない。そこに、クロスカブ110が現れた。僕の愛車は2018年に我が家に迎えたクロスカブ110である。発売と同時に予約を入れた。一言でいえば、一目惚れである。
ベースはスーパーカブ。つまり信頼性、燃費、扱いやすさという『盤石の土台』をそのまま継承している。
クロスカブ110は、そこに少しだけ冒険の匂いを混ぜ込んだ。まさに男のロマン。
それは林道の入り口に立ったとき、ためらわないための装備……などということはなく、ただ単にカッコがいい。ここだけの話、クロスカブで林道なんて走れない。なんちゃってオフロード……。だが、それが良い。だって、本気の林道なんて走る機会がない。
だから、日常を走る能力を失わずに、非日常へ半歩踏み出せる余白を持つ。その程度で良いのだ。この半歩が絶妙なのである。
本格オフロードバイクほど構えなくていい。舗装路専用だが、それで問題ない。この絶妙な見た目が、クロスカブの魅力で、まるで、日常と冒険の境界線に置かれたバイクのようだ。
男のロマンは、スペック表の外側にある
バイク選びの検索意図は大きく分けて三つある。
バイクを一括りにすると話がややこしくなる。バイクという乗り物は、基本的には趣味の乗り物であり、目的に合ったバイクを選ぶ必要がある。
- 燃費や維持費などの実用性
- 走行性能や扱いやすさ
- 所有する満足感や世界観
クロスカブ110は、この三つを静かに満たしてくる。
燃費は良好。維持費も軽い。車体は軽量で足つきもよく、街中でも扱いやすい。だが本質はそこではない。
このバイクは、荷台にボックスを載せても様になる。キャンプ道具を積んでも似合う。何も積まずに走っても成立する。つまり「自分の物語を積載できる」のである。
エンジンをかける。鼓動が足元から伝わる。それは大型バイクの暴力的な加速とは違う。控えめで、誠実で、それでいて芯がある。
まるで無口な相棒のようだ。
スーパーカブとクロスカブ110の違いは何か?
実用性重視ならスーパーカブ。そこに少しの遊び心を足したいならクロスカブ110。両者は対立関係ではない。クロスカブ110は、スーパーカブの哲学を拡張した存在だ。ちなみに、僕は8年近く、クロスカブに乗っているが、最近は、スーパーカブにも興味が出てきた。買い替えることはないとしても、誰かが譲ってくれるのであれば、スーパーカブも欲しい。
話がズレた。
クロスカブは、舗装路の安定感はそのままに、未舗装路が走れそうという期待を抱かせる。見た目のタフさが、所有欲を刺激する。
それは合理の延長線上に生まれたロマンである。
最高の相棒とは何か
速いバイクが偉いわけではない。高価なバイクが優れているわけでもない。と僕は思う。
僕の場合、最高の相棒であるバイクとは、毎日エンジンをかけたくなるかどうか。ふと遠回りしたくなるかどうか。日常から非日常へ直ぐに連れて行ってくれるか……。
クロスカブ110は、その問いに静かに「Yes」と答える。
通勤もできる。買い物もできる。キャンプにも行ける。それでいて、どの場面でも「作業」にならない。走るという行為が、ちゃんと体験として残る。
スーパーカブが生活の完成形だとするなら、クロスカブ110は『生活に余白を与える完成形』だ。実用の土台に、ささやかな冒険心を載せる。そのバランスこそが、このバイクの本質である。
だからこそ、僕にとってクロスカブ110は最高の相棒なのだ。
派手に主張しない。だが、どこへでも連れて行ってくれる。それは、鉄でできた哲学である。
(了)


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