大多数の意見だから正しいなんてことはない。自分で考え判断することが大切

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生きて行くためには、周りの人と折り合いをつけて意見を合わせる。自分の価値観、本音なんて、表には出さず、建前だけで生きていれば誰とも摩擦が生まれず、いつまでも安泰・・・。

そんな訳ないじゃん

絶対にない。断言する。自分の意見を言わない人は誰からも嫌われないと思っているかもしれないけど、誰かから嫌われているんだ。

八方美人で、誰の意見にも合わせていたら嫌われない。なんてことはない。

想像しているより、人間は汚い。ドス黒い。みんな腹の中なんて真っ黒だ!!

本人を目の前にして文句は言わないかもしれないけど、裏では陰口を言われている。聖人君子ならまだしも、嫌われない人なんていない。表立って対立はしないかも知れない。でも、みんな腹の中では思っていることがある。

誰からも嫌われないようにしていても、ある人の欲望の妨げになったり、感情を逆撫する行動をとってしまったりしたら即アウト。せっかく、波風が立たないように静かに生きてきたとしても、一瞬で奈落の底に落とされる。

同じ意見の人が周りにいるから大丈夫なんて、考えていると足元をすくわれる。

あなたの周りにいる人たちの意見が正しい保証はない。

てる
てる

なんか、面倒くさいこと言ってるな

ひらめ
ひらめ

周りの意見が正しいとは限らない

同じ意見の人が集まっているから自分は正しい」と思うことは危険なこと。本当に、その意見が正しいかを自分で判断することが大切なのだ。

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多数人の意見が正しいとは限らない理由

ヒトは「本音」と「建前」を使い分けて生活をしている。そして、心の中では「間違っている」と思っていても、みんなが正しいと言っているなら「正しい」のだろうと考えてしまう。

統計をとった訳ではないが、全体の6割以上(半分より多いくらい)の人は「建前」で意見を言っていいる。もしかしたら、もっと多い割合だ。多くの人は、他人と摩擦を起こしたくないと思っている。

半数以上の人に意見がなく、実際に議論しているのは全体の2〜4割程度。その議論をしている人たちは「本音」で話している。そして、議論を傍聴している6割以上の人たちは、どちらの意見につくかを考える。もしくは何も考えていない。

この割合はどのコミュニティでも変わらない。

僕も自分のこだわり以外のとき、どうでも良いと思っているときは、議論に参加しないで傍観者になる。なので、意見がないヒトが悪いと言っている訳ではなく、世間はそんなモノ。

さらに人間の考え方の基本は、自分の欲望を満たす意見、感情的に嬉しい、楽しい意見を選択してしてしまうのだ。自分の意見がある場合は除き、何もこだわりがない選択は欲望と感情に左右される。

簡単にいうと、自分がラクできる意見、得する意見に賛成する。議論に参加しない6割以上のヒトは無意識のうちに「欲望」と「感情」によって意見を選択する。その意見が、常識的に間違っていても自分に害がない方を選択してしまうのだ。

困ったことに「自分がラクできる意見」を選択した人は「正しい意見」だと勘違いをしてしまうのだ。

「空気を読む」ことに慣れている日本人は心の奥底で「違うかも」と思っても、周りの意見に合わせてしまう傾向がある。絶対に違うと思えば、反対する。でも自信がないときは、周りに合わせるのが正しいと誤解をしてしまう。

これが多数人の意見が間違ってしまうメカニズム。

てる
てる

良く分からん

ひらめ
ひらめ

原因は2つ

多人数の意見が正しいとは限らない理由は2つ。

  • 人間は「欲望」と「感情」で動く
  • 多くの人は空気を読んで多数側につく

正しい意見でも、自分に取って損をする場合や感情的に嫌だと思った場合は、その意見が正しいと認識することは難しい。つまり「損をしない意見」を無意識に選んでしまう。そして厄介なことに「本人たちは欲望や感情で選択したことを認識していない

ちょっと難しいんだけど、脳が錯覚をしているので本人たちは、正しい意見を選択したと思っている。

そして「空気を読む」ことが日常になっている日本人は少数派の意見に賛同することは、ほとんどない。

ーーー

多人数の意見が決まるメカニズムはこうだ。

  1. 正しいか、間違っているかを本気で考えているのは全体の2〜4割。
  2. 6〜8割のその他大勢を味方につけた意見が多人数意見になる。
  3. 6〜8割の人は(無意識に)自分がラクできる意見、得する意見を選ぶ。
  4. (意見を決めかねている人は)空気を読んで多人数の意見を選ぶ。

つまり意見が正しいか、間違っているかは、あまり重要ではない。その他大勢の欲望と感情を獲得できる意見が多人数の意見になってしまうのだ。

てる
てる

待て待て、ヤバいじゃん!?

ひらめ
ひらめ

ヤバいんだって

例えば、ヒットラーとか独裁者と呼ばれる人は、この法則を知っているので民衆(その他大勢)の欲望を満たすことを言ったり、感情を揺さぶることを言って煽動したんだ。

そこまで大きな話ではなくても、どんな話し合いでも同じ現象が起きている。つまり、多人数意見が正しいとは限らない。間違った意見でも多人数意見になってしまうことがあるんだ。

多人数意見が正しい訳ではない

多人数の意見が正しい訳ではない。間違った意見でも、意見がないヒト(全体の6〜8割の人)を取り込んだ意見が多人数の意見になってしまう。

状況を確認し、自分で考え、意見を言うことが求められるんだ。

みんなが議論して決めた意見であれば、尊重する必要がるんだけど、その場にいる全員が真剣に考えているなんて現実的にはあり得ない

そうすると声の大きい(立場が上の)人の意見、自分ににとって魅力的(ラク)な意見が多人数意見になってしまう。

その意見が正しいか、間違っているかは関係ありません。

無責任に思うけど、全てにおいて意見を言える知識があり、判断ができる人はほとんどいないんだ。

常識を疑え

残念なことに、多人数意見だから「自分は正しい」と思ってしまう人たちが多い。

第三者から見るとキチガイみたいな意見でも本人たちは正しいと思っている

いつになっても解決しないブラック企業問題だってそうだし、部活でのパワハラ、不祥事もそう。ハタから見るとあり得ないだろと言うことが閉塞されたコミュニティでは平然と行われている。

そんなコミュニティの中には反対意見を言うヒトがいない。または、判断意見を言っても多人数意見にはならない。

その他大勢は、反対意見に賛成することで、会社に居られなくなるとか、暴力の矛先が自分に向くんじゃないかとか、損得勘定をして損をしない意見に賛成する。

そうなると元に戻れないトコロまで転げ落ちてからじゃないと気づくことはない。

自分で考える能力が必要

何も考えていないヒト、考えられないヒトは多人数の意見が自分の意見だと勘違いしてしまう。そして同じ意見の人が周りにいるからと正しいと思ってしまう。

一見、多人数の意見は、正しい意見のような錯覚を受けてしまいますが、間違っていることがある。

本当に正しいのかを判断するのは自分。他人の意見に流されていると間違った選択をしてしまう。

目先のことを考えて、自分に取って良い意見だと思っても間違っている意見だと後々、大きな問題になりかねない。

周りの意見に流されていると気づかないことがたくさんある。

自分に取って良いと思っても、会社の存続に関係することかも知れないし、家族や身内を不幸にする選択かも知れない。

そうならないためにも、自分の意見を持てるようになろう。

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