人間は正しいことをするというのは幻想で人々は欲望と感情で動く

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人間は『正しいこと』ではなく『欲望』と『感情』で動くのだ

大人が理不尽なのも、ズルい奴が成功するのも、嘘を信じて騙されるのも、根本的な原因は人間の欲望と感情にある。誰もが利己的で、合理的で、自制的に行動をする理想的な世の中であれば、今のような混沌として予想のできない社会にはならない。誰もが欲望も感情も持たなければ、ルールを破る人間も嘘をつく人間もいなく、争いも起きず、平和で退屈な生活が送れるのだ。

欲望や感情を押し殺し、他人のために自己犠牲をしているという人でも「ラクしたい」とか「損はしたくない」「嫌なことはしたくない」と考えていて、もし仮にそんな欲望もないという人がいれば、その人の善意は他人に利用され、こき使われボロボロになるまで吸い尽くされてしまう。

いくら無欲だという人でも、自分だけ損をするのは嫌だし、わざわざツラいことをしたくはないし、少しでもラクしたいという欲望を抱えているし、好き嫌いという感情は必ずある。

そして、そんな欲望と感情で行動をしてしまうのが人間なんだ。

素直に正しいことをしていれば、神様が見てくれて、いつかは素晴らしい暮らしができるなんて、信じている人はいないと思うけど念のため補足しておく。

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人間は正しいことで動くという幻想

人間は倫理的、道徳的、社会的に正しいことをするのではなくて、悪気もなく、臆することもなく、平気で間違っていることをする。例えば、タバコやお酒だって、健康に悪いと知っていても嗜好する人は絶えないし、ルールを決めても守らない人は沢山いる。

人間は誰しも欲望を抱えていて、その欲望を満たすために行動をする。さらに困ったことに自分に都合が良いことが正しいことだと勘違いをし、間違ったことに手を染めてしまうのだ。

欲望や感情を丸出しにして生きている人はともかく、自分では冷静に考え、正しいことを選択していると思っている人も深層心理にある欲望と感情に流されている。

本人は気づいていないけど、人間は倫理的、道徳的、社会的に正しいことをしている訳ではなくて、損得、利害、好き嫌いによって行動をしている。

損はしたくないし、嫌いなことはやりたくないし、自分(とその周りの人)だけが良ければ、自分の都合の良い行動を取ってしまう。そして、困ったことに本人は、自分(とその周りの人)に都合が良いことは、正しいことだと勘違いをしているのに気づいていない

理不尽な世の中になる原因は『欲望』と『感情』

想像を絶する理不尽なことが日常茶飯事に起きる理由は、他人の欲望と感情に影響を受けるからだ。社会生活をしていると他人との関係が生まれてくるわけで、関わる他人の欲望や感情に押し流され、理不尽なことに悩まされることになる。自分の欲望や感情をコントロールし、ギリギリ折り合いをつけて生活をしているのに、他人の欲望を満たす役が回ってくることがある。

理不尽に感じることは論理的に考えてると間違っていることであって、誰もが正しいことを行なっていれば、理不尽が降りかかることはない。間違った行動をした人間が悪気があるかないかは別にして、欲望や感情で行動したことが原因で理不尽が生まれる。

例えば「ラクをしたい」という欲望を押し殺せずにサボった同僚の尻拭いが回ってきたり、ミスをした人間が「怒られたくない」という感情で逃げてしまい、代わりに怒られることになったり、理不尽なことの原因は他人の欲望と感情なのだ。

正しい行動をしているという勘違い

何かをするときに「正しいことを選択しよう」とは誰もが思っている。他人から見たら、間違っている発言や行動でも、本人は正しいことをしていると認識しているのだ。

間違っていることでも正しいと勘違いをしてしまう理由はふたつあって、ひとつ目は、価値観の近い人間ばかりがいる集団では、多数意見が正しいことだと認識してしまう。多数決というのは、多数派の利益のために少数派を不当にないがしろにするシステムで、多数派の意見が正しい訳ではない。そして、会社や村社会のような閉塞的な集団では、同じような価値観の人間が多数派で他人から見ると間違っていることでも、その集団では正しいことになってしまう。

例えば、男性が多い社会で多数決をしたら『少数派の女性は、男性のために尽くすこと』という結果が出たら、多数決ではそれが『正しいこと』になってしまう。いくら正しい意見でも、マイノリティの意見は聞き入れられることはなく、間違っていることでも、正しいと感じてしまうバカが一定数いるのだ。

ふたつ目は「確証バイアス」で、自分にとって都合のいい情報ばかりを無意識的に集め、反証する情報を無視したり、集めようとしなかったりする。最初に思い込みがあると、多様な情報があっても、最初の考えを支持するような情報ばかりが目に付いてしまう。

判断をする人(とその周りの人間)の欲望と感情によって正しいことが変わってしまうのだ。

理不尽な世の中で生き抜くために

好き嫌いは別にして、この理不尽で世知辛い世の中で生きていくためには世の中は欲望と感情で動いていることを認識し、他人の欲望や感情に巻き込まれないように生活する必要がある。思っているより人間は醜く汚い

欲望と感情を押し殺し、他人との摩擦が起きないように努力をしていても、周りの人間は欲望と感情で動いていることを忘れてはいけない。欲望と感情で行動をしている人たちと上手く共存をするには「正しいか間違っているか」で行動をするのではなく、他人の欲望をいち早く察知し、相手の欲望を満たし、感情を逆撫でしない行動を選択する必要がある。

倫理的、道徳的、社会的に正しいことをする必要はない

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